CD “FANTASY CLUB”ブックレット用のもの
 
FANTASY CLUB 随筆

 今回のアルバムを作るにあたって、セルフレビューとは又違った何かを掲載したい、ということに決まりまして、なんとなく書いてみた文章を以下にまとめます。FANTASY CLUBそのものを楽しんでくださればそれで十分ですが、歌詞カードだけじゃ手持ち無沙汰なお方はこちらも読んでみてはいかがでしょうか。

 今回のアルバムのための曲のうち、1〜2曲はPOSITIVE製作中にスケッチ程度で手元にあった曲だ。ただPOSITIVEはほとんどボーカル曲で揃えることにしていたのでインストは外していた。その中でもこれは入れたいな、と思っていた曲の一つが”FANTASY CLUB"である。この曲がアルバムタイトルになるだなんて想像だにしなかったが、いつかこれを良い形で出したいなとずっと思っていた。  自分がクラブミュージックというものを聴き始めて最初のほうに聞いた曲に、Pierre’s Pfantasy ClubのDream Girlという曲がある。ハウスという言葉についてもボンヤリしか知らなかったし、シカゴハウスについてはほとんどこれが始めて聞いた曲だったので、当時強烈な印象を受けた。リフレインする覇気のない声と地鳴りのように押し寄せるベースラインは、HIPHOPとはまた違った形で気合がとても伝わってきて、こんな音楽があるのかととても驚いた。そしてこれはなんとなく自分にしっくりくるタイトルでもあった。DJを始めてすぐのころは、J-POPとかに混ぜてこの曲をプレイしていて、数年前にはこの名前をもじって連載タイトルなんかにもする(ガチ恋・ファンタジー・クラブという連載をPOPEYEでやらせて頂いていた)。そういうこともあってなんとなく作った出来の良いデモ曲に、またこの名前を付けた。”FANTASY CLUB”だ。
 時は経ち、今回のアルバムをどういう方向性にしようかと考えてみたとき、POST-TRUTHという言葉が飛び込んできた。ガラパゴスにますます向かっていく日本では音楽の置かれてる立場が良い方向に向いてるとは思えないし、ファストで軽薄だ!といって世間を揶揄するのは時代(と本作から制作の半分がラップトップベースに変わった自分)に目を背けているようで嫌だがあまりにそうなりすぎたとも思う。日本で音楽的に開かれていると感じる作品は殊更に日々、見つけにくくなっている気がする。しかし自分がそもそも芳醇なものを浴びて(浴びようとして)育ってきたかと聞かれれば否だと思うし、全力でその流れに抗っているのか?と問われれば少々答えるのは難しい。
 インターネットを始めたころは面白いものが昔よりもっと評価されやすくなる未来がくるぞ!と信じていたが、今となっては全く逆で、全てがバズみたいなものと結び付けられていけば、物事はきっとさらに低い所に流れていくだろうと思う。倫理みたいなものもどんどん無くなっていくのだろうか、そんな時に自分の聞きたいような音楽を作ってくれる人は出てくるのか・・・と考えるとあんまり明るい気持ちになりにくい。本当に人間が求めているものは下世話な話題だけだったりするのかもしれない。
 自分がこうした義憤にかられてしまっていることについて立ち止まって考えてみる。インターネット越しに全てをわかったような気分になり、嘘か幻かもわからないような、自分の目で確かめたことではない情報について語っている時点で、自分が揶揄している向こう側の人間と全く同じ状況であることに気がつく。なんとなく世間がよくなくなっているイメージこそメディア越しに植え付けられてしまったものなのかもしれない。そしてこの文章もそんなぼんやりとした不安を植え付ける作用があるのかも。  きっと今より良い世の中というのはあるはず、ただそこにはどうやって行ったらよいのか、自分が何をすべきかというのがわからない。”FANTASY CLUB”とまとめるくらいがちょうどいい、と思うようになった。毎日友達と飲んだり遊んだりしているわけではない。ほとんど一人で過ごしているからどうしても歩いたりしていると考え事をしてしまう。あんまりこういう不確定な未来について考えすぎると人間は必ず悪い方にイメージが行ってしまうのも知っている。ただアルバムはこうして完成した。
 人間は高い山を切り開き台地にした後、住宅を並べ、ショッピングモールを建てた。その時はそれで良しとした。

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 今日は渋谷ヒカリエ裏のシオノギビルのルノアールで山根さんにアルバムジャケの原画を頂いた。遅刻気味だったのでタクシーに乗り込んで、運転手に場所を教えるために「しおのぎ」と調べた。自動変換で塩野義と書くことを知った。格好いい苗字だ。  今日に至るまで山根さんにはタイトルと数行のヒント、そして6割くらいの完成度の音源をお送りしていた。そこから帰ってきたラフスケッチは確か4つ。その時から自分にはこのジャケしか選ぶ気が無かった。ボートが収められている倉庫で話す2人の男。船は何かの力で進むことができるが、実際は海や川の流れに大きく動きを支配される。それはもしかすると音楽を作ったりすることのと近いのかもしれない。  なぜか最初このラフスケッチを見た時自分は競艇の船が収めてある倉庫の絵だと思った。どう見てもがっつり普通の手漕ぎボートの絵なのにボートと聞けば競艇を思い浮かべてしまった自分にとても反省した。思い込みで返信してしまった最初のメールではなんとなくそれに山根さんが乗っかってくれていて、さらに申し訳なかった。全然そういうのはツッコんでくださいよ。  そんなことを話しながらお互いの近況を伺うなどして小一時間話した。山根さんはこういう仕事をしていてあまり会うことがない同い年かつ、もう3〜4年くらい仕事でご一緒している貴重な人物だ。一番最初に「水星」でお願いしようか悩んでいたとき、「この人は長く続けてくれそうか」というのが自分の中で大きな問題だったことを思い出す。昨日も神戸で別の友人と話したことだが、自分にとっては何かを続けて行うことがとても大事に思える性分があるらしい。山根さんは今は住む場所をすこし変えて、仕事の分量を少し変えて自分の絵とまたゆっくり向き合っているそうだ。忙しさを高めて続ける方法もあるとは思うが、スピードを緩めてきちんと付き合う方法もある。何よりそうやって自分の好きな物事とどうやって付き合っていけば長く一緒に居られるか、そういったことについてきちんと考え、接しておられる人なのだなと短い時間の中でも分かって改めて良かった。  途中から合流したアート・ディレクターのタミオさんに関してはさらに長く、5年以上お世話になっている。どちらかというとタミオさんは助けてくれる先輩という感じが強い。そんな3人でジャケの原画を囲んで(原画を壁に立てかけつつ話していたのだがルノアールに妙に馴染んでいた)お茶をした。  その後、思っていたより少し大きめだった原画を入れるためのバッグを買いにタミオさんと2人で文具店に立ち寄った。仕事を初めてさせて頂いた時は独身だったタミオさんも今や一児の父だ。自分がタミオさんくらいの年になったらもうその子供と普通に喋ったりできるようになるのか・・・と思ったりしながらタミオさんを見送った。

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 なんとなく自分の中で毎回「オトコマエ枠」というのがアルバムにある気がするが、今回はYOUNG JUJUが担当だ。tofuチームのマネージャー並びにディレクターがKANDYTOWNのリリース時関わっていたのが音源を聞いたきっかけで、実際に彼のフロウは印象に残った。そのアルバムには収録されなかったヴァースがとても好きで(イベント特典として配布されたSONG IN BLUEのREMIXがそれにあたる)、オートチューンをかけたヴァースをもっと蹴ってほしくてトラックを作った。  今回彼のレコーディングは彼が懇意にしているILLICIT TSUBOI氏のスタジオで行った。YJが来る前に自分はこれだけ音楽やっていてほぼ初めてくらい、スタジオのボーカルブースに入って歌をレコーディングした。もちろんオートチューンはかけ録りなので音痴な自分の声を聞かずには済んだのだが、自分の声が他のボーカリストに比べてかなり大きいということを初めて知った。家で一人でやっているとそんなこともわからないまま10年経ったりもする。  YJの録りが終わってから「アルバムの1曲目にスクリュー入れたんすよ」という話題からスタジオでその曲を聴くことになり、アウトロを聞いたツボイさんが「この2枚使い編集で作った?」と聞いてきた。当初編集で2枚使いっぽい感じに編集してアウトロを作っていたのでそう答えると、「そういうのはちゃんと生でやんないと!」と言われてハッとした。別に自分はもともとターンテーブリストでも何でもないが、なんとなくここは生でやらなきゃなと思わされた。そういうこともあり、神戸に帰ってからはDJを始めた時以来くらいにとても簡単ではあるが2枚使いを練習して録音し直した。今回のアルバムでKASHIFさんのギターを除けば唯一の生演奏パートである。

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 昨日、ライブの仕事で大阪に行っていた。いいものを沢山見させていただいた。先輩方のライブを見ながら新しいことや客が見たことないものを恐れずやるのはやはりとても大事だと改めて勇気づけられた。雑誌WIREDで折に触れて語られる「イノベーションは勇気から生まれる」という言葉もそうだが、何かを変えて行くために必要なものはそれであると確かに思う。
 したたか、という言葉は「強か」と書く。もしくは「健か」とも書くらしい。いくぶん良い意味ではない言葉に思えるが、辞書で昔の例文を引いてみると植物が健かに育つ姿などにも使われている。強く、健やか(この場合はスコヤカと読むだろうか)な。この曲はそういう人に歌ってもらいたいなあとボンヤリ思っていた。結果、第一候補として自分が挙げたsugar me氏にOKをいただくことができた。  氏との顔合わせは渋谷の「珈琲貴族」という喫茶店で行われた。まずこの場所を指定してくださったsugar me氏が所属するレーベル、RALLYEの近越さんも最高だが、よくよく考えたらこのお方も結構昔から連絡を取らせていただいている方である。そして金沢でずっとやっていらっしゃる地方組のベテランでもある。そういう人と仕事をさせていただけるアルバムでよかったな〜、と思いつつ、コーヒー「貴族ブレンド」を頂いた。  自分的には珍しく午前の集合でいい気分だったが、滅多に午前行動をしないマネージャーが眠い目をこすっていた。そんなことを書いていたらその直後、sugar meさんはJ-WAVEの月〜金の朝の帯番組のアシスタントMCに抜擢されていた。至って朝型の自分はたまに神戸から聞かせてもらっていて、変な感じだ。この文章を仕上げている日の朝、まさにその番組でYUUKIがワールド・プレミアされていたのもなんだかおもしろい。

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 もう一人のゲスト、中村佳穂さんもいわばそういった普段は昼間にライブをされている方だろうか。結構前にくるりの岸田さんがオススメしていたのかネットだったか何だったか忘れたが、楽曲を聞いて驚いたのを覚えている。そんな彼女が自分の大学生の時に書いた曲を普通にライブでカヴァーしていたことを知ってさらに驚いたのはオファーを出した後のことだ。彼女の諸作品のエンジニアリングを行っているスタジオ、SIMPOもとても素晴らしい仕事をなさっているが、何よりご本人が持っているナチュラルなリズム感や編集センスが素晴らしい。レコーディングの時の瞬発力もあって、歌いながらめっちゃ手が動くのもある意味ラッパーっぽくて良いと思う。本人はいたって人当たりのいい感じの素敵なお方だが、アルバムのデザインのシュっとした感じなどはなんだか関西っぽくないような気もする。フェイクもなんかちょっとだけ宇多田ヒカルっぽく聞こえる瞬間があった。そのことを当日のエンジニアであるY氏に伝えたら「世代じゃないすかね」とおっしゃっていた。妙に腑に落ちた。
 そんな京都でレコーディング前にスタジオから近いという理由だけでなんとなく来た喫茶店がめちゃくちゃお洒落だ。大きな一枚板のカウンター、サイフォンで入れてくださる美味なコーヒー。オムライスに添えてあるピクルスまでも美味しかった。少々無愛想な店員の前でマックブックを開いて作業をする。こういう喫茶店で仕事していると自分はとても大人になったなあ、と感じる。  純喫茶でゆっくりするのは妙に落ち着かないことが前は多かった。何故かというとそういった店に行く機会が無かったからだ。小学校の頃はロイヤルホストに連れていってもらい、「ジャワビーフカレー」を食べるのが何よりの贅沢だった。胃潰瘍をやってから香辛料は極力控えているが今でも年に数度、コレは・・!という日に食べる。ロイホに詳しい人しかわからないと思うが自分的にはリブステーキを食べるより神聖な行為だ。  話は戻って、チェーン店やある程度画一的な店のほうが落ち着くのは自分が生まれた環境がそちら寄りだからではないかと思う。「いらっしゃいませ!」とマニュアル通りに声を掛けてくれる店にしかほとんど行ったことがなかった。顔を覚えてもらったり、最近何があったかを話し合うような店舗には今でもそこまで馴染みはない。  自分にとっての懐かしさは商店街にあるような親近感ではなく、国道から見るドライブスルーの看板のような距離感の方にあるようで、それでいて、どのロイホで食うジャワビーフカレーも美味い。

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 今回のアルバム、一番最後にやった作業がCHANT #2のアウトロを作ることだった。ピッチが下がっていってそのまま終わるのも悪くはないが、どうもアルバム全体が締まらないような気がして何日も頭を悩ませていた。今作はこれまで作ったアルバムの中ではlost decadeの次に時間的な余裕があった作品だ。特にアウトロについて1週間くらい考える時間があったというのは非常に贅沢だった。メジャーに入ってはじめて作品全体を見渡した制作ができる時間が作れたことは今回のアルバムに一番作用した。  いろいろ思慮を巡らせつつ、今回はフィールドレコーディングにしてみたらどうか、と思い、とりあえずレコーダーを持っていろんな場所に向かってみて、音を録ってみることにした。普段外では音楽を聴きながら歩いているので、そこでどんな音が流れているのか、改めて見つめ直すことはとても新鮮で意味のあることだった。  例えば最後に聞こえる汽笛の音がそうだ。神戸に居れば実は結構な山側に居ても汽笛の音が聞こえることはよくある。海に出るまで20~30分以上かかるであろう場所でも、山地を背にした神戸でそれが聞こえることはおかしいことではない。ただ、こうして録音してみないと汽笛が普段聞こえていることなんてすっかり忘れてしまっているのだ。教会の鐘の音もそうである。人間の耳というのは都合良くできていて、知らず知らずのうちに驚きの無いものは奥の方に仕舞い込んでしまう。レコーダーで録音することによってそんな音の数々を洗い出していった。そうして自分が好きで何度も向かっている場所からいくつかの音を集めて、それらの音が重なって再生してアルバムは終了する。大体は自分が一人で気分転換に向かう場所の音だ。今回は晴れの日を待つ余裕もあったのもラッキーだった。

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 今回のアルバムのマスタリング、様々な条件や音源を加味してお願いする事になったのが得能さんだった。専業のマスタリングエンジニアではない得能さんにマスタリングをお願いするのは少しだけ挑戦でもあったが、きっとうまく行くだろうとは思っていた。  普通、マスタリングという作業はスタジオで1日、朝から晩までぶっ通しで行って仕上げてしまうことが多い。自分的にはこれが効率的である反面、判断力の欠如を生むと思っていた。長く聞ける作品を作るためには何度もチェックが必要だ。スタジオではなく普段の環境でチェックしてマスタリングを進めるため、何度も得能さんとはやりとりをさせて頂いた。インターネット越しに少なくとも6往復くらいはやりとりがあったと思う。  そんな作業を経て、最後ddpというデータを作成してマスタリングは終了する。そんな最後の「落とし」の作業をチェックも兼ねて京都の得能さんの家で行わせていただくことにした。
 落としの数日前、得能さんが別の知人とtwitterで神戸垂水にある精肉店の焼豚の話をしていた。せっかく伺うのだからそこの焼豚を持って行って差し上げよう、と思い、同じく興味津々だったマネージャーの分もあわせて神戸で購入し、クーラーバッグに入れて京都に持って行った。得能さんはご自宅で作業をされているので、冷蔵庫に焼豚を一旦入れさせていただき、作業を開始した。  マスタリング作業が終わったあとはせっかくなので、と得能さんがレコード屋を案内してくださり、その後も中華を3人で頂いた。満腹になったところで、マネージャー用の焼き豚を冷蔵庫にすっかり忘れていたことに気がついた。  京都駅までの途中だし、と焼豚を取りに得能さんの家まで一旦戻ったのだが、雑談しているうちにそんなこと全員忘れてしまい、そのことに改めて気がついたのは帰りの電車に乗ってからだった。誰もそんな素ぶりは見せなかったがアルバムが仕上がって肩の荷が降りたのだろうか。もちろん焼豚は得能夫妻が2パックとも美味しく完食してくださった。丁寧にもその時の写真とレシピまで得能さんは送ってくださった。そこで、そもそも最初っから自分の分の焼豚を買い忘れていたと気がついた。